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2007年8月11日土曜日

朝青龍の来歴

15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝した。1997年に朝赤龍とともに日本の明徳義塾高校に相撲留学し、2年後に退学して角界に入門した(後に卒業が認められた)。2001年に新入幕し、翌年9月にモンゴル出身の力士として初めて大関に昇進し、同年十一月場所、翌年一月場所に連続優勝して横綱に昇進した。

2003年にできちゃった結婚。またこの年、長女が誕生。2004年8月には故郷モンゴルで披露宴を挙げたが、同月日本でも日本式で盛大に行われ、テレビ中継も行われた。

2003年6月19日、麗澤大学へモンゴルからの留学生を受け入れるための「朝青龍奨学生制度」を発足。朝青龍の母校である明徳義塾高校の吉田圭一校長は、同学の出身。朝青龍は渡航費用を負担。

2004年一月場所・三月場所で、2場所連続全勝優勝(30連勝)を果たした。続く五月場所は6日目(同年5月14日)に平幕の北勝力に敗れて連勝が止まり、最終的にこの場所は2敗となったが、千秋楽(5月23日)の優勝決定戦で北勝力を破り、3場所連続優勝を達成した。七月場所も13勝2敗で優勝。1996年の貴乃花以来となる、4場所連続優勝。

優勝インタビューでは当意即妙な発言をすることで知られ、(風邪を引いた場所で)「白星が最高の薬」、(史上最高の懸賞が懸かった場所で)「ごっちゃんでした」、2005年の三月場所、千秋楽には「大阪の皆様、おおきに!」と述べて、ファンを沸かせた。また金色の締め込みは話題になった。

かつては懸賞金を受け取るとき左手で手刀を切るなど土俵上の礼儀・作法が問題になったり、病気を理由に稽古総見を休むなどし、しばしば日本相撲協会や横綱審議委員会から苦言を呈されたが、横綱としての実績が高くなるにつれ次第に常に挑戦者と思って相撲を取る謙虚かつ油断のない姿勢や、本割で負けた相手には特に集中して稽古相手に指定するという負けず嫌いに立脚する向上心が、関係者に高く評価されるようにもなってきており、最近は横綱審議委員会から絶賛を受けるまでになっている。

貴乃花との対戦は、貴乃花の怪我による長期休場のためわずか2回しかなく、朝青龍の2戦2敗に終わっている。朝青龍が新大関として臨み、最後の対戦となった2002年九月場所では、善戦するも敗れ、対戦終了後に花道を引き上げる際に「畜生!」と大きな声で叫んでしまい、その後に支度部屋で「(対戦で貴乃花の)怪我している足を蹴っ飛ばしておけばよかった」と発言し、非難を浴びるという出来事があった。

2004年十一月場所から7場所連続優勝(従来は大鵬が2度記録した6場所連続)、2005年には年間6場所完全優勝(従来は1966年の大鵬、1978年の北の湖、1986年の千代の富士の5場所)、年間成績84勝6敗(従来は1978年の北の湖の82勝8敗)と、様々な記録を更新し続けている。

次兄のスミヤバザルは格闘家、三兄のセルジブデはブルー・ウルフのリングネームで新日本プロレスで活躍している。

人気が上昇するにつれてテレビコマーシャルに出演することが多くなり、また祖国モンゴルでは2005年のモンゴル国大統領選挙に際して、同郷力士と共にナンバリーン・エンフバヤルを支持するテレビコマーシャルに出演した。

2005年4月、明徳義塾高校へモンゴルの子供を留学させるための「朝青龍明徳教育基金」を設立。スポーツ留学に限らず、人選は朝青龍に一任されており、渡航費や生活費用等、年間約150万円を負担。

2005年10月6日には、長男が誕生。10月4日から渡米していたラスベガス巡業より帰国後、長男と初対面しての感想は「いいところの社長さんみたい」。

2005年12月8日、モンゴルのエンフバヤル大統領を表敬訪問した際に、モンゴルの英雄の名前を冠したスフバートル勲章が贈られた。

2006年1月21日、一月場所14日目のこの日、自身は新大関琴欧州に勝ち11勝3敗としたものの、この日同じく勝った大関栃東が13勝とし星2つの差となったため、この時点で優勝が消滅、自身が持つ連覇記録は7で止まることとなった。

2007年7月25日、腰の骨の疲労骨折が発見され全治6週間と医師に診断され、夏巡業の休場を決めモンゴルに帰国した。だが、同日放送の「スーパーニュース」では、モンゴルに帰国途中に中田英寿と偶然再会。帰国後すぐに開催されたモンゴルサッカー協会主催のサッカーイベントに飛び入り参加し腰の骨が疲労骨折しているにも関わらずサッカーに興じている姿が映された。7月27日に日本相撲協会が緊急会議を開き、夏巡業に対し全休させることに決まった。同協会巡業部大島部長は「半永久的に巡業に来なくて結構」というコメントを出した。7月30日に帰国し高砂親方と共に謝罪。7月31日には、在日モンゴル大使館も謝罪する手紙を日本相撲協会に送った。また7月31日に朝青龍は再検査を行い、入院の必要が無いことが判明した。

2007年8月1日、一連の騒動に対して日本相撲協会が、朝青龍明徳に対し、同年九月場所・十一月場所への出場停止、また、十一月場所千秋楽までの謹慎、および30%の減俸(4ヶ月間)の処分を下したことを発表した。横綱に対しての出場停止処分は明治以後の近代大相撲のみならず、横綱免許制度が出来てからも史上初となる。


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